私たちはどんなことを考えているか   中医研通信2006年5月号より抜粋  

【人の体は変わる―昔の日本人は元気だった】

藤井「いままでの中医研の考え方のまとめです。まず、人の体が不変であるとは思っていないです。98年に中医研のメンバーで座談会をしたんですけど、昔の日本人は元気だったという話になりました。木下先生は親子二代の鍼灸師で、大阪式の散針をしていました。膀胱経中心に速刺速抜されますね。」

木下「吹田で一番有名なのは、米山先生の妹さんの藤井先生です。その方の散鍼は1pきざみだそうです。」

炭田「膀胱経だけ?」

木下「こりの局所に1p刻みです。米山鍼灸院は有名なんで、吹田の鍼灸師は皆、見に行っています。米山先生は大阪鍼灸専門学校、いまの森ノ宮医療学園の先生です。」

藤井「そのやり方をすると、たいてい皆が良くなったそうです。これは全身の理気ですね。ところが、同じ治療を木下先生がやると、患者さんがしんどくなったそうです。」

木下「父親の患者さんを治療していて、昔、患者さんが直後はだるいけど、次の日はスカッとしていたそうです。ところが、同じことをしても、あくる日とか3日してぐらいから、やっと回復する。そこで、なんでやねんと思いました。腰が立たなくなってきたのが、這って帰った例もありました。親がやっていたのと同じことをして良かったらそれで問題はなかったのです。そこで何故だろうと中医学の勉強がはじまりました。」

藤井「この治療法は、どういう意味を持っているのかを分析して、治療すべきだと思います。中医学鍼灸は、太い中国鍼を使うからというのではなく、つまりハードではなく、ソフトが大切というのが、関西中医研の認識です。

 大阪式の散鍼は技術として優れています。しかし、どんな患者さんが来ても、まず散鍼をして…というやり方では、その治療法がその時代の患者さんと合っていたら、うまく行きますが、患者さんの体が変化してくると対応できなくなります。」

木下「一番よくわかるのは、40代で来ている患者さんが30年経つと70代のおじいさんです。40代で楽になった治療を70代にやったら、しんどいです。患者さん自身が自分の体でわかっています。そこで、患者さんに中医学の理論で説明します。患者さんも『先生、よう勉強してまんな』と言います(笑)。」

藤井「生活が変化していますね。この50〜60年、日本の歴史のなかでも、これだけ生活習慣が変化した時代はないし、これからも変化していきます。いまや世代ごとに体や精神のあり方の特徴が違います。

 その場合でも1つ1つのツボや手技、治療法を分析していって検証し、組み合わせて行くことで治療できるというのが関西中医研の立場です。だから、手技は、別にこだわりはないです。野球でもゴルフでも、いろんな打ち方があり、基本は共通ですが、体が違うなら、違うフォームでも良いと思います。鍼管を使っても使わなくても良いです。」中略

藤井「中医学で優れているところは、予測ができるところだと思います。ある症状、状態をどの程度まで、どれぐらいで治るか、予測できます。予測してその通りに治していくとプラシーボ効果が高まり、治りやすくなります。」

【現代日本の季節感について】

教科書的には

陰暦2〜4月

5〜7月

7月

8〜10月

11〜1月

長夏

暑 火

湿

大阪では

陰暦2〜4月

5〜7月

5月

8〜10月

11〜1月

長夏

風 寒 湿

暑 湿 寒

湿 寒

燥 湿

寒 湿

 

「現代日本の季節感についてです。関西中医研では、季節にもとづいた治療を議論してきました。陰暦の2月から4月が春です(立春から立夏)、5月から7月が夏、7月が長夏、8月から10月が秋、11月から1月が冬です。対応する主気は風、暑、湿、燥、寒です。ただ、どう考えても、これはいまの日本にあっていないです。

 立春以降、少陽の陽気が上昇し、めまいが起こったり、肝鬱気滞、肝陽上亢が起こりやすいです。それに対して、疏肝理気、平肝潜陽、平肝熄風の治則で治療するというのが中医学のセオリーです。しかし、日本では昇るべき陽気が湿邪によって滞るという議論をしてきました。日本では春先に雨は多いです。湿邪が陽気をはばみ、陽気は中国のようにスッと昇らないです。日本では、頭部の湿阻絡のためにメマイとなります。ですから、春先のメマイでも、百会の瀉法ではなく、平補平瀉で十分効きます。春先は腰痛なども出ますが、これも湿阻絡で、去湿して陽気を通じさせ、昇らせたらよく効きます。ですから、現代日本の春は風邪だけでなく、寒邪や湿邪の要素も考慮すべきです。

 もちろん、中国大陸型の肝陽上亢、肝風内動の患者さんもたまにいます。」

中略

「夏と長夏の区別はそれほど意味無いと思います。暑は湿を挟むという言葉もあり、どちらも湿邪が問題となります。もちろん、古代中国でもスイカを食べ過ぎたり、川で泳いで体を冷やすという夏の寒邪もありますが、現代日本では夏と長夏は寒邪が一番の問題になっています。特に、会社勤めしている人は早くから冷房が入ります。」「秋も中医学では、燥邪といいます。しかし、日本の秋はそれほど乾燥しないです。夏に比べると乾燥しているけど、たいしたことは無いです。」「秋は燥邪というよりも、秋は収斂の季節で、陰を収斂させる季節です。だから、秋に虚熱や眠れないといった陰虚からの内燥のような症状があります。また、人によっては、秋にエアコンが切れることで、体が勘違いをして、春のように肝陽上亢、肝鬱気滞の症状が見られるという仮説があります。まだ、これは仮説なので、臨床で検証していく必要があります。北京は乾燥しますが、大阪では雨が降りますから、燥邪というよりも陰虚なのだと思います。」中略冬は中医学では、寒の季節で経気は深く沈んで、それを反映して石脈となり、鍼も深く刺すという理論があります。しかし、現代日本では暖房があります。山奥の農家で暖房なしで暮らしているならともかく、大阪の都市部の人たちは暖房の暖かいところと空調のない戸外、寒いところを行ったりきたりするので、皮膚の肌理が開いて、寒邪がすぐに入り、カゼをひきます。カゼをひきやすいです。現代日本人の肌理は開いて、気は経絡の浅いところを流れています。

 【(さん)(しん)】ここで論じられているのは、米山式の散鍼であり、毫針で刺して速刺速抜や軽い雀啄で響かせる散鍼。肩こりなどに効果がある。経絡治療派が用いる「散鍼」は、いわゆる「井上式散鍼」で刺さない鍼で皮膚を刺激する。小児鍼で有名な藤井(ふじい)(ひで)()が創案し、経絡治療創始者の井上(いのうえ)(けい)()がさらに発展させた。

米山(よねやま)博久(ひろひさ)】1915〜1985。主著『小児針法』(医道の日本社)。1939年に吹田市で開業。1952年に「経絡否定論」を『医道の日本』で発表し、経絡治療派との間に「経絡論争」を巻き起こした。1958年に明治東洋医学院創設の発起人となる。1960年、沢田流の代田文誌と「鍼灸皮電計研究会(現在の日本臨床鍼灸懇話会)」を創設、1978年、森秀太郎とともに大阪鍼灸専門学校(現在の森ノ宮医療学園専門学校)創設の発起人、理事となる。1985年逝去。