中医学の治療概念についての考察 No.1

2000.1. 15 藤井 正道

藤井「この資料の作成にあたっては 石川さんや進藤さんなど神奈川の鍼灸師グループが作製された中医用語集を大幅に利用させていただきました。中国医学はつくられたものではなく、つくられつつあるものです。実際に鍼灸はどのように、どのようなテンポで効いていくのか?という問題意識を持って話していきます。 」

理(り):「理」は「玉+里声」からなる形声文字で、本来は玉(ぎょく)を治す、つまり玉石のスジ、キメなどが美しく見えるように磨いたり、処理をほどこしたりすることを意味し、「治める」「磨く」「正す」「裁く」などの意味をもつ。この動詞的意味が転じて調理、料理、管理、整理、修理、答理(受け答えする)などのように用いられるようになった。また、「理」の名詞的意味としては、「キメ」「スジ」(筋)「筋道」「道」などがあり、義理、道理、文理、事理、肌理、条理などとして用いられる。「理」は、中医の治法として、主に以下のように用いられる。
 1. 理中:中焦の脾胃を調えること。多くは温中♀ヲの薬物・経穴を用いて脾胃虚寒証を治療する方法。例:中や脾兪などに灸。
 2. 理気:行気解鬱、行気調中、補中益気作用のある薬物 経穴を用いて気滞、気逆、気虚を治療する方法。例:|中や合谷に鍼。全身の理気作用がある。
 3. 理血:補血、涼血、温血、♪C活血、止血など、血分病を治療する方法。
 4. 理法:縷法ともいう。手で体をつかみ、その手をきつく握ったりゆるめたりしながら上から下へ順に移動させる。多くは四肢に用い、筋脈を整える作用がある。例:按摩。

 中医学では「疏」と「理」は「疏理」のように連ねて用いたり、「疏肝理気」「疏鬱理気」などを合わせて用いられ、語の意味も近似している。
 「疏理」を例にとると、これは「疏通」、「理順」の意味を持つが、子細に分析してみると違いがみられる。つまり「疏理」は「疏」であり「理」であるという連合した関係ではなく、通じ(疏)させて調える(理)という、条件的な関係を持っているのである。
中医学の臨床における理気法の原則は「気滞宣疏」、「気逆宣降」であり、これはまた「疏鬱理気」、「和胃理気」、「降逆下気」などに分類することができるが、いずれも薬物 鍼灸によって鬱結を疏通させることにより、気機を整え、順調にすることである。したがって、「疏」は手段や条件を表し、「理」は目的や結果を表しているのである。例えば「疏肝理気」は、肝気鬱結による諸症状を改善させる治法であるが、主には両脇脹痛・胸悶不舒・悪心嘔吐・食欲不振・腹瀉・全身の刺すような痛み、舌苔薄、脈弦に、柴胡疏肝散などを用いることによって、鬱結を疎通させ、気機を整え順調にする方法である。
また「疏鬱理気」は、胸膈痞悶・両脇・小腹痛などの症状があり、情志抑欝によって引きおこされる気滞に、香附子、仏手、陳皮、砂仁殻、生甘草などの薬物を用いて、抑鬱を疏解し、積滞している気を整え順調にする方法である。

藤井「湯液の場合は使う薬が違うから、「疏肝理気」「疏鬱理気」の違いは湯液では意味があるかも知れませんが、鍼灸ではこの程度の違いに意味はないです。疏肝理気で充分です。実際の臨床では 患者個々や季節によって細かく違ってきますが、その辺の加減は日本語で具体的に表現していったほうがわかりやすいし、発展性があると思います。
中医学は常に変化する生体を動態的に捉えようとしますが、このような認識を誤解されている方は多いようです。例えば、経絡治療学会が名称を変えた日本伝統鍼灸学会学術委員会が発表した『病証学の確立に向けて』という文書があります。
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<2>四診総合の方法論の確立
診断は、西洋医学や中医学のように階層構造(TREE構造)を持ったニ者択一方式の体系的構造なのか、判別分析のように個々の診断に重みを付けて判断していく方法を採るのかを決定する必要がある。
前者は初心の者にも分かりやすく、教育にもなじむが、後者は結局総合判断で経験と直感が重要となり客観的ではない。しかし、後者の方が臨床的には実際的で人間的であるのに対して、前者の方は理論に偏り過ぎて実際の臨床と遊離してしまう可能性は高い。その他、前者と後者の欠点を極力廃して混合させたような方法も考えられ無くはないが、新しい試みなので簡単ではない。
以上、日本伝統鍼灸学会学術委員会『病証学の確立に向けて』より引用

藤井「この先生方は中医学は階層的なツリー構造であるという認識です。たくさん枝別れした木を想像してください。ツリー構造とは西洋医学のように細分化された学問の構造です。循環器や神経科といった専門によって細分化され、さらにその中で細分化があり…という構造です。中医学は一見、ツリー構造です。臓腑弁証は肝・心・脾・肺・腎と臓器で分けるし、気血弁証では気虚・血虚といった分類がさらに肺気虚や脾気虚に分かれというようにツリー構造に見えなくもないです。しかし、本当は、中医学はツリーの中のある枝が他の枝にいきなり絡んだりします。肝脾不和でも肝の問題が強い肝脾不和と脾の問題が強い肝脾不和、さらに肝脾不和から湿邪が発生し、湿の問題が中心となり…とドンドン変化していきます。
例えば、腎陰虚や腎陽虚という分類に固執してもあまり意味が無いです。同じ人でも気候が寒くなれば腎陽虚に近くなるかも知れないし、気候が暑くなれば腎陰虚に近くなるかも知れません。とくに老人の場合 腎の陰陽ともに虚しているので、あるキッカケでどちらかになります。こういった生きた関係性をどう捉えるかが問題であって、分類するのが目的ではありません。何故、分類するかというと考えた道筋を残し、いっしょに議論するため、自分で総括するためです。共通の言語と概念は科学的に議論するためです。しかし、日本伝統鍼灸学会学術委員会の見解では個人的な感覚や経験と、学問的な議論のための分類をごっちゃにしています。しかも、日本伝統鍼灸学会学術委員会の中医学への見解はチャート式の参考書のような平面的な分類です。本当の中医学は立体的で緊張感にみちた事物の対立と、対立しつつ統一している身体という全体性の不断の発展過程、変化の過程です。そこに一定の法則性をつかむものです。AになればBとか、CとDの条件にあえばEとか、そういう分類 形而上学的分類はいくらやってもあまり意味が無いです。
中医学は「生きた関係性」を捉えるための理論装置です。陰陽論と五行説はいまの関係性、動きというものを捉えるための理論装置です。陰陽は対立しているけど、一つのものです。陰陽は常に動いているということが前提です」

木下「(教科書の弁証は)教えていくという教育課程のための方便としてのチャート式ですね。最初はそれで覚えて、あとは臨床で経験を積んでいくなかでわかっていくということですね」

藤井「そうですね。しかし、日本人は受験勉強の延長でチャート式に分類するというツリー式の思考に慣れています。そして分類が細かければ細かいほど大層な学問だ(笑)と思ってしまうような傾向があります。中医学は「生きた関係性」を捉えようとする学問です。今の流行で言うなら「複雑系」みたいな感じです。哲学で言うなら「弁証法」になります。対立物の統一と発展という哲学体系をはらんでいます。中医学は経絡治療学会の先生方が言われているように固定的なツリー構造ではないし、個人的な経験をそのまま 理論的に文書化できます。そのうえで中医学でもとくに鍼灸は、より平易な日本語で討論したほうが良いと個人的には思っています。漢方では何日かは同じ処方を使いますが、鍼灸では毎回処方は変わっていきます。「生きた関係性」をつかむことが漢方以上に必要で、平易な言葉のほうが みんなが討論に参加できますし、微妙なニュアンスを伝えやすいと考えるからです。
さらに経絡治療家が中医学をどう見ているかということを紹介しておきます。
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○経絡治療
  A、自己完結型で治療者が納得の行く治療が出来る・治療後の検脈により、
効果を治療直後に術者が判定し得る
  B、一定のパターンを有するため、ほとんどの疾患に対応可能・非病名治療
  C、技術的要素が直接治療効果に反映される・理論より技術面の深みがある
  D、直後効果が顕著でない。病態によって直後効果が著明なことも多い
  E、局所の打撲:捻挫ではどうか?・経絡治療の必然性は?
  F、理論性および理論面での充実の必要性がある:気血水・奇経・経筋など

○中医鍼灸
  A、優れた論理性を持つ。理論に偏り過ぎるか?
  B、鍼灸中薬一体型の理論構成:中薬主体のきらいがある
  C、鍼灸単独では実施し難い? 鍼灸単独の論理構築に急ぎ過ぎ
  D、理論は正しいものとの認識に立つが、科学的検証が未解決
  E、手技・ド−ゼが中国と同じように適用できない
  F、体表所見が欠落している・触診もほとんどなく、取穴の際も触らない
以上、日本伝統鍼灸学会学術委員会『病証学の確立に向けて』より引用

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藤井「中医学鍼灸の教科書は、中国で全国統一教科書を急いでつくったので、ツリー型の構造をもったという側面はあると思います。
ただ、その次の「D、科学的検証が未解決」というのは経絡治療も同じ(笑)だと思います。科学を単純なな実証主義にきり縮めた視点では、例えばアインシュタインの相対性理論の意義を理解できないでしょう。
「E、手技、ドーゼが中国と同じように適用できない」というのは当たり前の話です(笑)。ただ、中医鍼灸をしている人の中にも、中国と同じやり方をしないといけないと思っている人はいます。どの学問でも、だいたい外国語ができる人が新しい理論を外国から持ち込み、外国そのままのやり方を試みます。それに以前からのやり方をやっていた同業者が反発するという現象が常にあります。蘭学でも導入期は同じです。そして、しばらく経ってから折衷派が現われます。これはどの学問でも同じです。
「F、体表所見が欠落している。触診もほとんどなく、取穴の際も触らない」というのは、中国の事情と関係しています。多くの場合 中国の病院で鍼灸の医師は午前中だけで何十人もの人を診なければならない状態でした。だから、触診するヒマが無いという事情があります。もう一つは経気の深さの問題があります。北京のほうが経気は深いところを流れています。日本は経絡を湿邪がつまらせても、湿邪は浅いところでつまっています。日本は夏も冷房に入り、冬も暖房に入り、経気が浅いところを流れています。北京の夏は40度の暑さで、冬も寒くて乾燥し、零下何十度です。厳しい環境なので経気が深いところを流れているという問題があります。日本は浅いところを経気が流れているので触っても情報を得ることができます。ただ中国の医者もそういうことに気づくのは、外国に行った時ではないでしょうか。わたしもバングラディシュに行って治療した時「全く違うな」と思いました。
違う世界を見て、新たな問題意識をもつのです。異なる文化が交わるところから、創造的発展が始まるのと共通していますね。邵先生も日本に来て長いですが、日本の患者と格闘しています。そうすると本国と違う理論展開がでてきます。理論というのは、いろんな角度から見ると深くなります。まあ、これは中医学理論だけではありませんが。

権威化のやり方として一番簡単なのは煩雑化することです。一般に学問は硬直化し権威化していくほど、無用で煩雑な分類で、人を平伏させようとする傾向があります。権威化の方法には他にも二つほどあります。
「AとかBのやり方は、途中で歪曲されたもの。Cこそ古くから伝わってきたままの、伝来の奥義そのままだ」というやり方です。これは過去を手放しで聖化する宗教的ともいえる心情が根底にあります。たいていの宗教も過去を楽園に描いています。
もうひとつは「これこそが最新の新しく発見された一番効くやり方」というものです。これはおそらく産業革命以降に力を増した別の意味での権威化の方法でしょう。産業革命以降の技術革新の波、工業社会・産業社会の価値観を素朴に反映したものです。農業社会では老人で経験を積んでいるほうが良いですが、工業社会では老人の知恵や経験もあまり意味がありません。しかし「新しいものが一番すぐれている」はずなのは、工業製品の話です。「これこそが最新の新しく発見された一番効くやり方」という嘘はまだ誰も追試していないから一定期間は人をだませます。新薬のインターフェロンの効き目がどれだけ宣伝されたことでしょう。「何でも治る。肝炎も癌も治る」とまで言われていました。しかし、肝炎なども治る場合と治らない場合があるというのが実際にやってみてわかったことです。抗生物質なども同じ経過をたどりました」

利(り):「利」は鋭く光る刃物と稲の形象からなる文字で、「とくする(鋭くする)」「と く(鋭い)」という意味を持ち、稲を鋭い刃物で刈るさまを表している。また、刃物が鋭けれ
ば、ことは順調に進むことから「なめらか」「とおる」の意味があり、「順」「通」に通ずる。さらには事が順調に進み、支障がなければ、便利がよいので「よい」「よろしい」のように、「便」「宜」の意味を含み、「りする」「もうけ」の意味を持つ。

 中医学では「利」を動詞として用いることが多い。「利小便」とは、小便を具合よく排出
させるという意味で、「利尿薬」は、小便を通利させる、または小便を具合よく、ほどよく排出させる薬物のことである。清熱利湿、清暑利湿、温陽利湿、滋陰利湿、淡滲利湿などの「利湿」とは、小便を通利させて湿邪を下焦から浸透し、排出させる治療法のことである。また「温腎利水」という治療方法があるが、これは腎陽が損傷することによって生じた水腫の治療に、温腎の方法を用いて蓄水を漏出除去する方法である。時に「利」は、「下利」つまり「下痢」にように名詞として用いられるが、これは仮借文字の用法である。

 中医学の基本的な治療方法に、「滲湿」と「利水」というのがあるが、意味はほぼ同じで、
いずれも湿邪を排除することである。ただし、両者には相違点もある、「滲湿」は薬物を
用いて湿邪を下に漏出することで、「利水」は「滲湿」した上で湿邪をスムーズに排出させることである。このように両者には、治療過程の中での違い、また条件と結果の違いがある。中医治療方法における「淡滲利湿」とは、淡滲が条件で、利湿が結果である。つまり淡味の薬物を服用して湿邪を漏下した後で、湿邪を下焦から順調に排出するという意味である。例えば湿熱病の治療に「淡湿於熱下」という方法があるが、これは熱性の病気の際、湿が熱より重く、熱邪が水湿に阻まれて外に排出できない時、利湿薬を用いて水湿だけを分けて除去し、それによって熱邪を外に排出させるというものである。したがってこの場合、滑石、白通草、生よく苡仁などの淡味の薬物を主薬に、他の芳香性の薬物を配合して用いれば、湿邪は下焦に漏出された後、下焦からスムーズに排出されるのである。

藤井「鍼灸は利水という概念だけで充分です。上記の場合では熱邪がどの経絡、臓腑にあるのかと判断し、清熱し、しかる後に利水すれば良いです。正気の具合によっては、瀉気を警戒し清熱ではなく理気程度にとどめる場合もあります。気を下に誘導し 身体上部の症状を緩和させるやり方もあります。利水の経穴は水道 気海 膀胱兪など、いろいろあります」


益(えき):「益」は象形文字で、皿に物を大きく盛りあげた形をかたどっており、「ま(増)す」「あふれる」といった意味である。「補」と「益」は中医学的には、類似した意味合いではあるが、「益」は「増す」「加える」といった意味が主になる。「補気」「益気」というように区別して用いる場合、「補気」は、主に気虚によって生じた気の損傷を「おぎなう」ことを意味し、「益気」は、気を「増す(増加)」ことを主とする。
 さらに、「補脾益肺(培土生金)」などのように「補」と「益」の両方が4字成句の中に含まれる、「補A益B」といった型のものがある。これはAの機能の失調を補う(修理)ことによって、Bの機能を正常に(または増加)させることを表している。つまり「補脾

益肺」とは、健脾剤などを用いて脾の気虚証を重点に治療し、これによって五行の相生関係にある肺の機能を正常な状態に導くといった治療法方を表しているのである。
 このように、表現上「補」と「益」を区別して使い分けている場合が多くみられるが、一般には「補」と「益」は、あまりはっきりした意味上の区別がなく、「益」とあれば「補」と考えてもさしつかえないようである。

藤井「補気の経穴としては太淵・肺兪など、いろいろあります。ただし気虚からの頭のふらつきなどの症状の場合は、百会の灸が一番効きます。しかし、百会は肺経とは関係無いし、補気の経穴と厳密には言えません。百会は気を上に挙げるだけです。気虚の人は気が人体に偏在しています。日本の場合はさらに湿邪が頭部の経絡をつまらせています。こういう場合に太淵で補気して気を上げたら、頭痛が起こる可能性もあります。実際には頭部の経絡に湿阻絡、気滞があります。さらに栄養失調で倒れそうな気虚で無い限り、気は頭部以外に偏在しています。その偏在している気を頭に上げることと、頭部の経絡を通じさせるのが百会の灸の目的です。ただ、化熱している人なら百会の灸も加減しないといけないです。特にこれから二月三月に陽気が上がってくる時期は要注意です。
なぜ百会の灸の話をしたかというと、『医道の日本』の中で(『医道の日本』平成10年11月号68ページ)藤本蓮風氏と小川卓良氏の対談がありました。藤本氏は『腎虚は百会です』と言っていました。しかしなぜ効くのかについては小川氏の質問に明確にこたえていません。百会は腎虚のツボではなく、補腎の効果はありません。経気を上に誘導しているだけです。臨床のテクニックです。中国の本を読んでいても、本当の補腎のツボと経気を誘導しているツボがごっちゃに書いてあります。中医鍼灸は 日本では教える側の問題で臓腑弁証にこだわりすぎる面があります。しかし、経絡の経気を導く導気のテクニックは臨床では重要です」


通陽(つうよう):陽気の通りの悪いときの治療法。寒、湿、痰、C血 などがその原因
となる。通陽利水、通陽化気などがある。


通経活絡(つうけいかつらく):気血が阻滞している経絡を、または経脈と絡脈を、通じさせる治療法。阿是穴または経絡上の経穴、合谷―太衝(四関穴)を加えると最初は効果がいい。


散寒法(さんかんほう):散寒法とは、外の寒邪を追い出す♀ヲ法のひとつで、辛味温性の薬物で発表して寒邪を♀ヲすることをいう。悪寒・発熱・身体疼痛・無汗・口不渇・脈浮緊・苔白などの寒邪閉表証の治療に用いられる方法である。麻黄湯、荊防敗毒散などの表散薬を服用すれば、発汗して表閉していたものが開き、そこから寒邪が外散する。鍼灸では大椎・風門に灸。合谷に鍼か灸。


去風(きょふう):「きょ」とは追い払う、散らすの意味である。去風でいう「風」とは外風に属し、外感によって風邪を受けたもので、これを追い払い、散らす治療法がすべてきょ風に属する。去風解表などがある。もし風邪がその他の外邪を伴う場合は、他の治療法を併用しなければならない。去風散寒、去風清熱、去風化湿、去風散寒燥湿などがある。また去風治療でも、その目的を異にすれば呼称も異なる。去風活絡、去風止痒、去風止痙などがある。風は外邪に属するので、外へ取り除いていかなければならず、「補風」、「斂風」などという呼び方はありえない。


去湿(きょしつ):「きょ」とは追い払う・散らす・消解するという意味である。去湿は湿病の総合的な治療法である。およそ湿病を散開させ、消解させる治療法はみな去湿治療法の内に含まれる。湿病でも邪の感受の度合いや、病位の表裏上下の区別に応じて、各種去湿法はその具体的病状を目標として設定されている。例えば表湿に対しては、宣表去湿、発汗去湿、去湿舒筋法がある。湿邪には通・化・泄法が適しており、渋・補法は使えない。したがって一般に固表去湿、止汗去湿、去湿養血、去湿補気などとはいわない。

藤井「ただし肺気を補い、宣肺して肺と腎の関係から利水をはかり、結果として去湿するというやり方は一般的であるから補気宣肺利水去湿ちぢめて補気宣肺去湿または宣肺去湿という言い方はあってもいいと私は考えています。湿邪は補法を使わないというのは、中国のことだと思います。中国は湿熱を警戒して補法を使いませんが、日本では肺気虚や脾気虚で湿邪をもっている患者さんが多いです。もともと中国は乾燥しますから化熱しやすいです。日本は肺気虚や脾気虚が多く、湿邪が陽気を抑え込むので、条件が違います。肝陽上亢は陰虚の症状ですが、日本では同時に湿邪があるので陽気がそれほど余っていないです。以前の渡辺先生の講義でも精神科で躁状態や分裂病のひどい症状が減ったというお話がありましたが、陽気不足のため、日本では化熱の要素が中国に比べて少ないと思います。」


化湿(かしつ):水滞(水湿停滞)に対しての治則のひとつである。「化」は溶解して消去すること。主に中焦に停滞した湿邪を溶解させて消去し、湿のない状態に転化させることである。例:神闕塩灸や中への生姜灸や陰陵泉など。



渋(じゅう): 渋とは、流出する状態を抑えて止めるという意味で使う。※引用:渋腸
止瀉、渋腸固脱 


補(ほ):「補」は、もともと衣服のほころびを縫うといった意味合いから、「修理」「あ
らためる」「うめあわす」「おぎなう」という意味になり、「ま(増・益)す」という意
味も含んでいる。中医学では「補気」「補血」のように表すが、この「補」は、「おぎな
う」「ます」の両方を意味している場合が多い。ただし、「補胃」「補脾」「補腎」のよう
に機能に対する場合は、「ます」よりも「おぎなう」の意味合いの方が強いと思われる。


益気昇陽(えっきしょうよう):昇は上昇を表し、陽は脾の陽気を指します。昇陽とは脾の陽気を上昇させることにより、下陥した気を上昇させる治療方法です。脾気は上昇を主ることによって、水穀の精微の気を昇らせて肺に輸布し、他の臓腑を栄養します。脾気が虚すると、上昇する力がなくなるので、久瀉、脱肛、内蔵下垂など中気下陥の症状が起こります。脾気を補益して脾気が充足すれば上昇する力が増し、下陥した中気は上昇するようになるので、諸症状は除かれます。これは脾気虚がさらに進んで脾気下陥(中気下陥)証に適用します。

藤井「日本では湿が多く、乾燥した北京ほどには 化火を警戒しなくていいから、軽い脾気虚の場合でも 益気昇陽のやり方をどんどん使って良いと思います。中と関元の灸 、これに百会を組み合わせても良いです。
ところでエステなどで施術直後、ウエストが縮んだと宣伝されています。脂肪がそう簡単に燃焼するものでしょうか? これは益気昇陽や通陽だと思います。日本の女性は臍から下がポコッと出ていることが多いです。ウエストは臍のあたりで測ります。中気下陥のために内臓が下垂してお腹が出ます。全身のマッサージで理気活血すれば、気のめぐりがよくなります。女性週刊誌などで見ると強刺激のマッサージで「二三日は全身がホコホコと温かった」という体験談がありました。通陽して陽気が全身にめぐれば、内臓が上にあがってウエストが縮小するのではないでしょうか?
女性でエステと鍼灸を組み合わせるなら、先にウエストを測って、それから督脈通陽法をしたら、ウエストは縮小していると思います。脂肪はすぐに燃焼しませんから。女性週刊誌のエステの体験談も嘘は書いていないと思います。ただ、一般のお医者さんはアホらしくて取り上げないですけど」

邵「私の知り合いで督脈温陽法を組み合わせて痩身をやって人気がでている人もいます」


温補腎陽(おんほじんよう):腎陽虚証の治則。腎陽虚とは、腎陽の不足により、足腰のだるさ、四肢の冷え、耳鳴りなどの症状を呈すること。温補腎陽とは、温補薬などを用いて腎陽を補い、正常な状態にもどすことである。鍼灸は腎兪 関元 命門 これも百会や四神聡を組み合わせる。

藤井「命門だけよりも百会、四神聡を組み合わせたほうが良いです。ただ腎虚の人は腎陽虚と腎陰虚の両方の要素がある場合があります。熱を上に上げ過ぎるとマズイ人もいます。臓腑は時間がかかります。鍼灸は経絡を通すことは簡単にできます。肝陽上亢の頭痛は気が上に上昇しているので、下げれば良いです。中焦のお腹が動いていない場合も鍼灸して経絡を通せば動き出します。しかし、健脾や補腎といった臓腑のことは時間がかかります。便秘と下痢を繰り返す症状はなかなか時間がかかります」


滋補肺腎(じほはいじん):肺腎陰虚証の治則。肺腎陰虚とは、腎陰と肺陰の不足により、
足腰のだるさ、咳嗽などの症状を呈すること。滋補肺腎とは、陰精陰液を潤し、腎陰と
肺陰を補い正常な状態にもどすことである。

藤井「痩せたおじいさんで顔が赤く、咳するタイプをイメージしてください。鍼灸は腎兪 太谿 三陰交 です。ただし、大阪では通陽ないし補陽をかくし味の感覚で組み合わせると良いです。陰の気が足りないですが、陽気を少し加えて陰の気をひきだすようなことをしないと動きが悪いです。陽の気は基本です。日本では湿がらみが多いし、陽の気を加えて少し通絡の要素を入れたほうが良いです。」