痰湿熱と気虚の症例 99年6月 藤井の講義

・99年5月10日 安田さん(仮名)66歳女性
主訴:頭痛、身体がだるい、食事ができない

問診:10日以上、ろくに食事していない。胸がつまって食事できない。吐き気はない。毎日、医院に点滴に通っているがいっこうによくならない。5月1日に39.5度の熱がでて解熱剤を使った。熱は下がったが、それ以来 身体がしんどい。咳がでていた。まだ少し残っている。口は乾く。便通はない。

経過:4月25日から26日にハイキングに行って疲れた。4月29日にもう一度ハイキングを控えていたが、身体がだるかったためと気分悪かったため、27日と28日に内科で点滴を受けた。点滴は自分で希望した。この時点ではおそらく栄養点滴だろう。
4月29日のハイキングは中止した。5月1日に激しい悪寒と下痢におそわれた。その後、39.7度の発熱で咳も出る。連休中のため自分で座薬の解熱剤を使用した。熱は下がったが、身体は非常にだるくなり、食事できなくなった。正確にはおかゆを2―3匙程度しか食べられない。5月6日から10日まで内科で点滴を続けたが、改善しないため5月10日に当院を受診した。5月6日以降は抗生物質が投与されていた可能性も大きい。後日、患者は耳鼻科で抗生物質を投与されたが、その時もすぐに食欲不振に陥った。抗生物質が投与されていようがいまいが脾胃の機能失調と考えればいい。ただし経験的には抗生物質の投与が続いているうちは、脾胃の治療はなかなかすっきりとはいきにくい。
舌診:紅舌、舌苔の前半分が剥離。薄い黄苔。
舌診写真1.舌診写真2
脈診:細弦脈
脈は細弦。肺熱のため、舌は紅となり、前半分は苔が剥離している。熱のため黄苔となっている。細脈は気虚から、弦は肺気不宣などのためからの気滞から。頭痛から気滞、気滞の痛みから弦脈と考えてもいい。肺気不宣から、脾胃の機能失調、湿がたまり、肺熱で湿が凝集して痰となっている。患者は一年前も腰痛で来院している。その時も梅核気(喉に梅の種がつまったような感じの症状)があった。もともといくらかは、痰があったのだろう。

弁証:
痰湿熱 肺熱 気虚
風熱からはじまったと考えられるが、もはやほとんど表証はない。肺気不宣から、脾胃の機能失調、湿たまり肺熱で湿が凝集して痰となっている。患者は一年前も腰痛で来院している。その時も梅核気があった。もともと痰はあったと考えられる。

治則:通陽発散 補気宣肺 昇清陽降濁

藤井「普通、中医学では痰湿と弁証したら、去痰が治則になるのが本当ですが、この場合は通陽発散 補気宣肺 昇清陽降濁となっています。何故、このような治則になるのかを説明します。この患者さんは十日以上、ほとんど食べていないので胃気はほとんどありません。脈は細弦脈なので一見元気そうですが、気滞や痛み、熱があるために弦脈があるだけで、本質的には細脈で弱い脈と推測できます。この患者さんに豊隆など去痰法中心で治療したら、気虚がさらに悪化します。逆に補気だけで治療しても主訴である頭痛はとれません。
そこで通陽発散という、気をめぐらせる治療法を使います。陽気をめぐらせ、やや補気をして、宣肺して熱を発散させます。清らかな陽気を頭部に昇らせることで頭部の気をめぐらせ、痰湿という濁気を降ろします。肺の粛降作用、胃の降濁作用が失調しているので、この患者さんは任脈につまっている痰濁が降りなくなっています」

配穴:督脈一列灸(督脈上、一椎おきに「つぼ灸NEO」を置き、下から火をつける)
百会に透熱灸を五壮。
内関 人中 太淵 照海に2番鍼で置鍼。


解説:督脈一列灸で、督脈を通陽して清陽を頭部に上げ、気の推進作用をつくる。百会に透熱灸は熱感というよりも痛感が強く、昇陽益気も通陽発散の要素もあると考えている。百会は通竅聡耳の作用もある。清陽を挙げることで頭痛を取る。人中は清神志 開竅醒神 陰陽の調和の作用がある。人中は督脈と任脈の交会穴であり、陰陽調和させる。内関は清心包絡 寧心和胃 寛胸理気 疏肝和中の作用がある。照海は清熱利湿・利咽安神の作用がある。太淵は去風化痰 利肺止咳 補肺益気の作用がある。
治療目的はまず食事できるようにすることを主眼にした。患者は一年前も腰痛で来院した時も梅核気があった。この患者は任脈がつまりやすい。まず任脈の痰をとり、食事できるようにすることを考えた。昇清陽降濁を主としていくらか補気宣肺 健脾胃をはかった。点滴の中止を指示する。

99年5月11日
昨日より舌の紅色は強い。舌が痛くなったという訴え。これは通陽補気のため、虚熱が強くなったのだろうと考えた。しかし、咳は悪化していない。食事はできたという。おかゆを食べることができた。頭痛も改善しているが、まだ少し残っている。
虚熱の症状は、折り込み済みの症状である。例え、虚熱の症状が強くなっても、現在の主訴は食事ができないことなのだから、昇清陽降濁が大切である。痰をとらないと結局熱もさがらないし、食事もできない。もし、この患者に清熱の治療をしたら、気虚がさらに悪化する可能性もある。ある程度、発熱させたほうが良い。現在はカゼなどにすぐに解熱剤を使うので、発散できなくなっている。だから、例え虚熱がでても、通陽する必要がある。肺熱の悪化があれば、咳はひどくなるだろうが、それもない。
前回と同じ配穴。

99年5月12日
食事が進むようになった。志室、章門付近を押してもらうと腹部がすっとする気がするという訴え。腹部がもやもやする。食べ物を消化するようになったから、消化器系統が動き始めたからと説明する。もともと肝気鬱滞はあり。肝脾不和の要素もあったのだろう。右肩背部のコリを訴える。少し疏肝理気して健脾の治療をすることにする。
昇清陽降濁も一定程度は出来たし、胃気がもどってきたため、痰湿熱に対し、去痰を強化する。また宣肺利水通便して大腸から肺熱をとる。心包の熱もとる。肺熱が心包に伝えられていたため、不眠 焦燥感 落ち着きのなさなどが当初からあった。
(藤井「肺経から直接、瀉熱するのはお年寄りや気虚の人にはまずいです。肺―大腸の表裏関係を利用し、大腸から通便することで肺熱をとります」)

治則:昇清陽降濁 去痰 少し疏肝理気

配穴:督脈一列灸
百会に透熱灸を五壮。
右側の膈兪 肝兪 脾兪に置鍼。
内関 中かん 列缺 廉泉 上巨虚に二番鍼で置鍼。
照海は8番鍼で灸頭針

解説:列缺は宣肺理気 通経活絡 寛胸利膈の作用がある。
廉泉は陰維脈との交会穴で通利咽喉 清熱利気 増津液の作用。廉泉は唾が増えるの
で口渇が止まるし、陰陽を調和させて人中に似た作用がある。
上巨虚は大腸経下合穴で通腸化滞 通降腸腑 理気和胃の作用がある。
99年5月14日
便通があった。舌の紅がうすくなっている。同上の処方に下向きだん中加える。だん中は去痰作用と理気を強くするためである。ただ「だん中」は初期に使うには理気作用が強すぎると考えている。

99年5月17日
昨日から家事ができるようになった。発熱以降、耳が「ふわっとした感覚」が続いている。音が反響する。左の症状が強い。少陽経の経気が上逆して痰濁が耳の周囲で詰まっているためと判断する。この日はまだ あまり鍼数をふやしたくなかったため、耳周囲の局所は使わずに様子をみる。鍼数を増やしすぎると瀉気になる。毎日、便通があるようになった。痰湿熱がとれれば、耳の症状も自然ととれるだろうと考えた。

配穴:督脈一列灸
百会に透熱灸を五壮。
右側の膈兪 肝兪 脾兪に置鍼。右は8番鍼。左は2番鍼を使用する。
廉泉 だん中 内関 豊隆に二番鍼で置鍼。
照海に灸頭針

解説:豊隆は絡穴で去痰湿 清神志。
だん中は調理気機 宣肺降逆 寛胸化痰。

99年5月20日
配穴:督脈一列灸
百会に透熱灸を五壮。
右側の膈兪 肝兪 脾兪に置鍼。右は8番鍼。左は2番鍼を使用する。
完骨 右翳風に置鍼。
廉泉 だん中 内関 豊隆に二番鍼で置鍼。
照海に灸頭針

99年5月25日
6月5日に一泊旅行を予定していた。頭痛もない。咳もない。耳が「ふわっとした感覚」がなくならないとしきりに訴えがあったため、理気過剰覚悟、寫気覚悟で理気の治療を中心にする。
配穴:完骨 翳風 角孫 左頭維に30番鍼 左は電鍼にして15分
膈兪 右肝兪に置鍼。百会 透熱灸 7壮
だん中 内関 豊隆 侠谿
照海に灸頭針

解説:侠谿は栄水穴で清肝胆熱 去風清熱 去湿熱 通竅聡耳の作用がある。
この頃 耳鼻科に行ったことが後でわかった。抗生物質が処方された様子。しばらくして食欲不振に陥った。

99年5月28日
左耳の音の反響する感覚はずいぶんよくなったが、まだ少し残るとの訴え。25日の治療の後 身体がだるくなったという。それまでは鍼灸治療後 身体がだるくなるようなことはなかったという。「ちょっと強いやり方をしましたから」と説明する。
配穴:
左側の角孫 頭維 翳風 玉沈 完骨へ30番鍼 左は電鍼にして15分 右完骨もとる。
督脈一列灸 百会 透熱灸 7壮
だん中 内関 豊隆 左侠谿
照海灸頭針

99年5月30日
耳の症状はほぼ消失。しかし身体がだるく、胸がつまり食事ができないという訴えがあった。おかしいと思い、よくよく聞くと耳鼻科に行き、投薬をうけていた。「薬には抗生物質が処方された可能性がある。抗生物質が胃の調子をおかしくした可能性は高い。鍼で治っていないならともかく、鍼で治っているのだから、薬を中断してはどうか」と提案した。
配穴:督脈一列灸 百会 透熱灸 10壮
だん中 内関 足三里 左侠谿
照海灸頭針

99年6月3日
配穴:命門 中枢 至陽 大椎 灸頭針 右肝兪 右風池
だん中は下向きに刺針 得気を得て抜針 次に中国灸5壮
中かん 中国灸5壮 神闕塩灸 内関置鍼
足三里 照海灸頭針 左侠谿置鍼

解説:灸頭針で督脈通陽して、気の推進力をつくる。中国灸とは、底辺3センチぐらいの円錐状艾柱の頂点に火をつける。患者さんが熱感を訴えたところでお灸を取る。発赤を目安に3壮から7壮施灸する。日本のお灸よりもはるかに大きい艾柱のため、便宜上、藤井は中国灸と呼んでいる。日本の知熱灸は温感というより痛感が強いため、補陽の要素より瀉熱(抗炎症)の要素が強いと考えられる。日本では湿の要素が強いために陽気を強める必要がある。そこで温陽には熱エネルギーの強い中国灸を使うことがある。

99年6月7日
同上
99年6月10日
症状はとれたので、治癒と言っても良い状態である。耳鼻科の薬は30日以降 飲んでいないが、医師にはそのことを明らかにしていないという。食欲でてきた。少し疲労感と右肩の凝りがあるが今までもこの程度はあったという。朝だけ 痰が喉にあるような感覚があるという。ただし痰はでない。梅核気と判断している。
配穴:命門 中枢 至陽 大椎 灸頭針
右膈兪 肝兪 右肩りょう
百会 透熱灸 7壮
廉泉 だん中 内関 足三里
中カン生姜灸 照海灸頭針

99年6月14日
体調はいい。朝にだけ、痰が喉にあるような感覚があるという。
同上の配穴。

99年6月17日
腹部 中かん 付近の重さの訴え こういうことは
以前から時々あったという。

治則:去痰 疏肝理気健脾
配穴:膈兪 脾兪 右肝兪 2番鍼
督脈一列灸 百会 透熱灸 5壮
内関 公孫 廉泉 上かん
中かん に生姜灸 豊隆灸頭針

解説:公孫は絡穴 衝脈交会穴で理脾胃 調衝脈の作用である。内関―公孫は奇経の配穴である。
討論
藤井「弁証では、何から治していくかという問題があります。たとえば、この患者さんは舌暗なのでお血ということも言えなくはないです。しかし、お血の治療である活血をしても主訴はとれません。舌の中焦に裂紋があるので、脾気虚とも言えます。しかし、補脾気しても仕方が無いです。臓腑弁証だけで考えても、日本の鍼灸院の患者さんを治療することは難しいと思います。何か質問はありませんか?」

木下「太淵で補気宣肺していますが、補肺気で化熱する可能性もありますね。列缺で少し宣肺の要素を強めて、さらに神闕塩灸というのはどうですか?」

藤井「そのやり方もありますが、神闕塩灸で任脈に熱を加えると吐き気の症状が強くなった経験もあります。それで任脈上に熱を加えることは避けました。確かに次の来院の時には舌痛があり、木下先生のおっしゃる通り、化熱症状が出ています。しかし、舌痛よりも食べられないという症状は深刻です。食べられないと生命に関わる可能性がありますが、舌痛がひどくなっても生命には別状ないので、あえて無視するという考え方です。
まとめると
(1)督脈任脈の陰陽を調和させ、督脈通陽することで気の推進力をつくる
(2)主訴の頭痛と食べられない症状をどう取るか、
(3)食事をさせて胃気をつくり、食事をさせてから去痰に移る、ということをポイントにしました。


藤井「もう一つ年齢の問題もあります。若い人なら、あっさりと最初から去痰したかも知れませんが、お年寄りは陰も陽も虚しています。わたしが好きな考え方として『陽が長ずれば、陰が生じる』という言葉があります。陽気が動かないと陰も生じません。」

邵「痰湿と気虚が同時にある場合、実証と虚証が混じっている場合の治療は難しいです」

藤井「こういう複雑な場合は、たとえば、補気したらどうなるかと考えてみると良いですね。補気だけしたら、化熱して頭痛が悪化します。」

邵「そうです。そして逆に去湿、去痰したら食べられなくなります。」

藤井「最初から去湿、去痰したら気虚が悪化して寝込んでしまいますね。『鍼したら余計に悪くなった』と言われる可能性があります。まあ、口で『2−3日は寝込むけど、その後に楽になる』と説明して治療するやり方もありますが…。吹田の先輩鍼灸師で鍼した後に一日寝込むけど、楽になるというやり方をしている人もいます。」

邵「それも一つの方法です」

藤井「理気法で経絡を通してしまえば、一時的に気虚になるけど、気が自然回復したら痛みは楽にはなります。弁証が出来ない段階の人は補気をせずにとりあえず『理気』というのは一つの方法ですね。下手に中医学でいろいろ考えるよりも、昔のやり方のほうが効く場合もあります。もちろん中医学が臨床の役にたたないという意味ではありません」

木下「とりあえず理気しておいて、その間に考える(笑)」

邵「理気は鍼灸師の使命みたいなものですからね。日本の針灸の患者さんは痛みの症状が多いですから。」

藤井「臨床では迷う場合が多いですが、迷った場合はどうしていくかという問題がありますね。
迷ったら理気です。」