石川氏の講義の抄録
「日本への中医学導入の歴史と現状」
1999/03/17
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ご紹介していただいた石川でございます。かねがね関西中医鍼灸研究会の名はわれわれ辺境の横浜にも鳴り響いていまして(笑)、一度ぜひ皆様とお目にかかりたいと考えていました。実はわたしは他の団体でお話させていただくのは始めてです。
先ほど藤井先生からのご紹介にもあったように針灸業よりもNPOのほうに情熱を注いできましたので、そちらのほうでお話する機会は多いので、誰も鍼灸師として認めてくれません(笑)。メシを食っている本業のほうで呼ばれたので喜んで参りました(笑)。正直に言うと他の団体であまりお話したくないというのもありましたが、この団体はNPOから発足したということを『TAO鍼灸療法』(源草社)の編集長である寄金さんから聞き、NPOの仲間ならということで参った次第です。
(注 関西中医鍼灸研究会は阪神大震災の時の鍼灸ボランティアに集まった人々を中核にして結成されました。NPOから発足とは、そういう意味です
それで藤井さんから何号か『中医研通信』を送っていただいて読みました。皆さんは高度なことを研究されている数少ない団体だと認識しています。これだけの内容を会報で出している団体は他に無いのではないかと思います。

石川家明(いしかわいえあき)氏の略歴
76年:石川鍼灸院開業、現在に至る。80〜82年:神奈川県立七沢リハビリテーション老人病院研修生。85年:湘南福祉医療専門学校講師就任。90年:Healthy Cities Plan研究所所長就任、現在に至る。91年:生活クラブ生活協同組合神奈川顧問就任、96年より嘱託。95年:神之木クリニック東洋医学科部長、現在に至る。98年:雑誌『薬膳食療』(湖南中医学院主編;薬膳食療研究雑誌社)の編集委員就任


【中国文化との関わり】

偶然、わたしは小さい時から中国人とのつきあいがありました。小学校の頃に横浜の中華街に引っ越したことで、小学校に入学した頃から遊んでいる子供はほとんど中国人でした。学校には中国人だけではなく、朝鮮韓国やアジア系の人たちが中心で、友人にむしろ日本人が少ないという状態です。わたしの近所でよく遊んだ同い年の子はコックの周富徳さんの弟さんです。子供時代の中華街では大陸系統と中華民国(台湾)系統が道端でであっては殴り合いをしていることもあるという時代で、(中華人民共和国と中華民国、台湾の対立の反映。台湾は大陸反攻を掲げ、大陸との間で砲撃戦も行われていた。当時日本は台湾と国交を結んでいた)まわりに中国人が多かったために中国文化というものにどっぷりつかっていました。中国人って面白いな、どうしてこんな発想をするのかな、ということが、わたしが鍼灸の世界に入る原点となっています。その後、いろいろな市民運動をしている中で中国と国交回復をした時、中国人の留学生が日本で無事に留学生活を送るために「留学生援護会」というのをつくりました。その頃は、ほとんど中国語教師をしていまして、市民との交流をする仕組みをつくりまして、売り上げが二千万円強あります。これを奨学金と称して留学生の方々に差し上げます。その年間四十人ぐらいの留学生の一割弱ぐらいは医学系統です。それで中国の中医師と知り合うようになりました。さっそく横浜で中医学研究会をつくり、その中でいろんな中医師と知り合いました。中国は広いので、中医学そのものが少しずつ違っています。日本でも同じですよね。同じことを聞いてもその先生の認識によって違う答えが返ってきます。臨床的に扱い方もずいぶん違ってきます。中西医結合の時代の影響で、胃癌を証にあてはめるという説明をされる方もいらっしゃいました。
ただ学校で教える教科書中医学が存在し、皆がそれを学んでいますから基本は同じですよね。それからの臨床のパターンが違います。わたしがよく言う事は、中医学というのは巨大な「中国伝統医学」の部分的集合です。その巨大な「中国伝統医学」を偉大な碩学たちが上手にまとめたのが「中医学」だと思います。日本の伝統的鍼灸漢方をされている方々は『黄帝内経』や『傷寒論』から入るという勉強の仕方をされます。わたしも学生時代はそういう勉強の仕方から入りましたが、そのやり方ではなかなか臨床にまで結びつきません。「中国伝統医学」を上手にまとめたものが「中医学」ですから、鍼灸や漢方を勉強するには中医学から入ってしまったほうが断然整理されています。ただ、そこで注意しないといけないのは、その背後には巨大な「中国伝統医学」がバックボーンとして存在しているということです。教科書的な「中医学」はハッキリと線がありますが、中医師の先生によっては「中医学」とバックボーンにあたる「中国伝統医学」の境界が違うということです。ただ、学校で教える教科書的な「中医学」ははっきりと存在するのであって、そこで共通の議論ができるということです。
ここ四半世紀、中医師の先生や留学生とつきあってきましたが、時代は変わりました。中国からの留学生の質も変わりましたし、日本もそうです。私が学校に行っていた頃の睛眼者は少なかったです。中医学を取り巻く環境も変わりました。現在の若い医者は中医学から勉強する方が多いです。学理がしっかりしていて、順番に勉強すれば学べるからです。京都、高雄病院の江部洋一郎先生によると、西洋医の先生が自分の専門をやりながら、中医学を勉強して曲がりなりにも漢方の処方ができるまで二年かかるそうです。わたしは二年ではとてもできませんでした。それぐらい腰を据えてジックリと勉強しないとわからないというのが、横浜での経験です。

日本人と中国人というのは私の一生のテーマです。わたしは中国人と日本人というのは髪の毛も肌の色も同じだけれども、同じ東洋人という発想をしないほうが良いと思います。中国人はアメリカ人(笑)と思ったほうが良いというのが私の感想です。中国語は、主語の次に動詞が来るし、椅子とベットで生活しています。われわれと全く違うのに、同じだと思い込むことが誤解を招いたり、偏見を生む元凶となっています。わたしは中国人や中医師と喧嘩してきましたが、その原因は文化が違うからです。

【中医学学習における文化理解の重要性】

「中国に無くて、日本にあるものは何か?」「日本とは何か?」
今日は「日本的中医学」ということがテーマですが、中国と比較するにはまず日本の文化というものを知らないといけないと思います。ただ日本に独自のものは何かと考えると悩んでしまいます。皆さん、食べ物で挙げられますか?
これこそ日本だと思っても、調べてみると中国経由のものがほとんどです。
当然のことながら、他の学問では、その国の文化を知らないと本物にはなれません。アメリカ文学を知るためにはアメリカ文化を知らないとわからないです。中医学を勉強していると最終的に大きな壁にぶつかります。中国人はどういう風にものを考えるかを理解することで、その壁を通り越すことには早いのではないかと思います。中国人は最初から肌でわかっていることです。中医学では四字熟語がありますよね。例えば「舒筋活血」という文字があります。わたしが最初に悩んだのは「舒筋」と「活血」の間の関係が分からないことです。AがあってBなのか、AをBが修飾しているのか、AとBは同列なのか?これは実際に中国人医師に聞かないとわかりません。また本で「舒筋活血」と出る部分を何度も読むとなんとなくわかってきます。しかし、それも誤解である可能性もあります。さらに何人もの中医師に聞いて、毎回違う説明を聞く必要があります。それを楽しんでください(笑)。

【社会の変化と病気の変化】

日本型中医学をつくるときに、江戸時代にふさわしい日本型中医学をつくるわけにはいきません。現代にふさわしい日本型中医学をつくらないといけません。ところが、この現代が問題となります。現代はものすごい早いスピードで変化しています。
この四半世紀で同じ病気でも証が全く変わっています。他の国の医者には恥ずかしくて言えない話ですが、大学病院に来る第一位はカゼです。ところが、ある東北の大学病院で数年前、外来患者の数がカゼを抜いて第一位になった疾患があります。これは新聞などでも騒がれました。これは心身症です。七年前の厚生省の調査ではサラリーマンの四人に一人は精神的に問題をもっているそうです。四人に一人というのは物凄い数ですが、七年前です。それから減っていると思いません。むしろ増えています。
わたしは開業して二十年になりますが、患者層がガラリと変わりました。
『TAO鍼灸療法』で対談した金子先生の奥さんで邱 紅梅先生(燎原書店『わかる中医学入門』の著者)という女医さんがいらっしゃいます。当時の北京中医薬大学を首席で卒業したという才女です。渋谷の薬局で患者さんを診てらっしゃいます。この先生に「肝系統の患者さんは何割ぐらいですか?」と聞いたことがあります。私は自分の経験上、七割ぐらいと思っていました。邱 紅梅先生は「九割です」とおっしゃっていました。邱先生は冗談好きな先生で「わたしは日本に住んでこんな舌になってしまいました(笑)」と舌を見せてくれました。胖大舌で歯痕があります。それぐらい日本は中国の中医師から見れば、湿が強く患者さんの状態も違います。だから、日本的中医学ということをおっしゃるのはよく分かります。また、そういう時機が到来していると思います。今年の六月に横浜の学会があります(第四十八回全日本鍼灸学会学術大会6月11日―13日)。ここで全国中医学研究会の交流会が開催されます。それで全国の中医学研究会にアンケートを出しました。そしたら皆さんが話しを合わせたかのように「日本的中医学」についてやりたいと書いていました。だから、いまこそ「日本的中医学」について考えるべき時期です。

わたしはNPOや市民運動との関わりで行政との折衝などを通じて、日本で最初の高齢者住宅、福祉マンションをつくり、そこに東洋医学と西洋医学を併用する診療所を入れました。こういった私の何十年かの運動の経験として、新しいものをつくるには絶対にタイミングが必要です。そして今タイミングは間違っていません。もう一つ重要なのは出し方です。出し方によっては平気でつぶされます。出し方というのは大事です。中医学を理解してもらうにはどうしたら良いか? また誰に理解してもらうのか?
理解してもらう相手というのは、鍼灸師では無いです。理解してもらう相手は市民や行政です。ここを間違えて運動に走ると危ないです。足を引っ張られる可能性があります。いまアメリカNIHの報告によって鍼灸は盛り上がっています。(米国国立衛生研究所NIHが鍼の効果に関して明確な証拠を認め、保険会社に対して保険適応を勧告した)これは凄いことです。どうしてうまくいったのか? NIHの人を呼んで講演してもらいました。答えはさもありなんです。
ヒッピー崩れの人たち、日本で言う団塊の世代の人たちです。この世代の人たちはインドに放浪したりしてハーブとかが大好きです。西洋的な発想がちょっと違うんじゃないかということに気づいた最初の世代です。こういう世代の人たちがハーブなど代替医学を好み、さらに彼らは知識人なんですね。NIHという科学者が200人もいる行政団体の責任者によると、この知識人たちに鍼灸を理解してもらったことが成功の理由です。日本でも同じだと思います。日本でも何といったら良いか、難しいですが、「知識人」を対象にアピールをつくらないといけないと思います。

話を元に戻すと外来患者で圧倒的に増えたのは心身症です。つまり心身症、自律神経失調症、われわれの言葉で言うと肝気鬱結の人たちが圧倒的に増えています。これらの患者さんを対象とした日本型中医学をつくりあげないといけません。それから、新聞でセンセーショナルに取り上げられましたが、成人病という言葉が使われなくなりました。子供の糖尿病が増え、小児成人病というおかしな言葉が使われるようになったため、成人病という言葉が「生活習慣病」と変更されました。30年間で小児糖尿病は三十倍に増えたそうです。「生活習慣病」という言葉に変更されたことは行政的な意味で大きいです。「成人病」という場合、早期発見早期治療という公衆衛生学の「二次予防」なんですね。ところが「生活習慣病」というのは公衆衛生学における「一次予防」になります。日本の西洋医学では「一次予防」なんてどこもやっていません。われわれ中医学が言っているのは「未病を治す」ということですね。子供の頃から病気にならないようにしようということです。しかし、未病を治すには病因病機を知らないといけません。中医学を知らないで未病治はできません。歴史上、はじめて西洋医学の一次予防と中医学の未病治が重なり合ってきているわけです。その意味でも時機到来です。
「未病治」という言葉が世間一般でもよく使われるようになってきたのは去年の「厚生白書」にその言葉が載ったのですね。それでそういう言葉を使ったことの無い先生方も使うようになった。このように世の中がこっちの方向に動いていることは事実です。

交通事故で死亡した20代の若者を解剖すると98パーセントに動脈硬化が見られたそうです。また花粉症の問題があります。二十年前の花粉症は弁証しないで小青竜湯一本槍で治ったという時代がありました(笑)。また鍼灸でも時間はかかるけど、定期的に治療しておけば治りました。今の花粉症はそれでは治りません。昔は眼の痒みがある花粉症はほとんどありませんでした。眼の痒みは熱証です。この二三年はさらに花粉症が変化しています。下痢や頭痛など自律神経失調症の症状が加わっています。これは小青竜湯だけでは治りません。この数年だけでも同じ「花粉症」という病名で証は全く変わっています。ましてや『傷寒論』の時代から何千年もたっています。それなのに日本の漢方古方派の臨床家は『傷寒論』一本で良いと主張し、温病学を入れないというのは素朴な疑問としてあります。

もう一つ増えている疾患は患者さんと本当に親しくならないと教えてくれませんが、セックスの問題です。できない、しないという問題があります。二人ともしないなら問題はありませんが、一方ができないと問題が起こります。これは皆さんが想像しているよりも多いです。これも市民運動の関わりで知りました。これを治すことも難しいです。環境ホルモンの問題もありますし、日本社会が変わっている中でどのように考えていくのかという問題があります。
ここまでは病名で考えてきたのですけど、今度は生活環境の変化で考えていきましょう。スピードが早くなり、ストレスが増えたこともありますが、冷蔵庫が普及したことが最も大きな変化です。これは良い面もあります。塩で保存する食品が減り、塩分が低下したので脳卒中が減ったことです。一方で簡単に保存できるので食品添加物を入れた保存食品は多くなりました。それからジュース類が多くなり、簡単に入るようになりました。わたしが子供の頃は肉を食べるときには「お肉踊り」をしたものです(笑)。それぐらい肉はごちそうでしたし、刺身なんてしょっちゅう食べられるものではなかったです。ファミリーレストランではコップの水に氷が入るようになりました。さらにビールの消費量は冬でもあまり落ちなくなりました。日本は湿邪の国なのに、ますます湿邪が増える方向に変わっています。

現代は欠乏(A)から過剰(B)の時代になっています。そしてさらに(A)+(B)の時代になっています。

過去       近代社会          現代社会
欠乏(A)      過剰(B)         (A)+(B)

感染症       成人病          自己免疫疾患
         生活習慣病         心身症
         (糖尿病、高血圧)      自律神経失調症


単一性の原因←――――――――――――――――→多発性の原因
外因中心 ←――――――――――――――――→内因中心
急性疾患 ←――――――――――――――――→慢性疾患
集団的 ←――――――――――――――――→個別的

西洋医学 ←――――――――――――――――→東洋医学
寒証 ←――――――――――――――――→熱証
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欠乏の時代には感染症の時代でした。過剰の時代は成人病、生活習慣病の時代です。現代は(A)+(B)の時代です。(A)+(B)の時代は自己免疫疾患、心身症、自律神経失調症が増えています。(A)には単一性の原因というイメージがあります。(B)には多発性の原因というイメージがあります。(A)には外因性のイメージがあり、(B)には内因中心のイメージがあります。(A)は急性疾患であり、(B)には慢性疾患のイメージがあります。さらに面白いのは(A)は集団的であり、(B)は個別的です。この二項対立を分類してどちらが西洋医学で、どちらが東洋医学かを考えてみましょう。時代はまさに東洋医学の時代となっています。
もっと発想を飛躍させましょう。(A)は寒証のイメージがあり、(B)は熱証のイメージがあります。この四半世紀、または戦後でこれだけの変化があります。さらに忘れてはならないのは高齢化社会を迎えるということです。
日本人の平均寿命は1900年で37歳です。当時の欧米は50歳代です。日本人の平均寿命が50歳を超したのは1947年で戦後の話です。この時期から急速に寿命が延びたわけです。いまは80歳を超えて世界一の長寿国です。しかし、寝たきりも世界一の数です。高齢者が健康で生活してもらうためにも日本型中医学を考えないといけないです。中国でもまだこのような高齢化社会にはなっていません。

もう一つ忘れてはいけないのは日本の風土、湿邪の問題です。中国は広いのでさまざまな風土があります。中国でも南のほうから日本に来る中医師の先生は少ないです。せいぜい広州ぐらいです。湿気の強い四川省の医学はまだ日本にはあまり入っていません。日本は世界でも年間降雨量は一位です。これは長所でもあり、欠点でもあります。日本の水が軟水でおいしいです。中国の水はおいしくないです。日本料理と中国料理は水と油です。中国料理は炒め物です。日本料理はだし汁を使った煮物料理です。中国旅行して有名な川を見ても水は澄んでいません。濁っています。日本は水が澄んでいます。しかし、日本の水は欠点があります。カルシウムなどのミネラルが含まれていません。日本は海に囲まれた国なので、海産物でこのミネラルを補ってきました。そのあたりを理解して日本型の食事指導を考えないといけません。
日本に湿気が多いことの長所は細菌が増えやすいということです。日本の伝統食品は発酵食品が多いです。この発酵食品がだんだん減ってきています。これも重要な問題です。日本人は肺・大腸が弱いです。発酵食品で腸内細菌を調整すれば、大腸が丈夫になります。O−157の感染騒動があったとき、同じ給食を食べても感染しなかった子供もいました。これは腸内にどれだけ良質の細菌フローラがあるかという違いです。大腸が丈夫になれば、肺が丈夫になるし、肺が丈夫になれば、大腸も丈夫になります。
日本に来た漢方の先生が驚くのは、麻黄、地黄、当帰で胃が悪くなる人が多いことです。これも湿度の関係があるようです。現代人だけでなく、昔からそうだったようです。これは縄文時代の話ではありません。もっと後の時代の話です。縄文時代の骨の厚さは江戸時代の三倍で栗を常食していたそうです。

縄文時代の話が出ましたが、日本人とは誰であるかという問題があります。日本人とは中国人だったのです。これは遺伝子の研究でわかってきました。原日本人は北海道と沖縄に別れました。その後に中央に来たのは中国人の子孫である我々です。遺伝的形質は中国人と変わりなくても、環境で変わっている要素が大きいようです。ハワイの日系人と日本人を比較した研究があります。明らかに遺伝的形質よりも環境の影響が大きいです。

日本の漢方や日本の食養(明治時代の石塚左玄氏が提唱し、桜沢如一氏が引き継いだ玄米正食法)では陰陽論が中医学と違います。残念ながら、世界に広まっているのは、中医学の薬膳よりも日本の食養です。日本の食養の流れを引き継いだ人々が言っていることはマユツバものです。「日本人は伝統的にお米を食べていた」。これはおかしいです。そんなバカな話はないです。お米を食べられるようになったのは最近の話です。「日本人はお米を食べるべきだ」と言いますが、どうして皆がそれにだまされるか不思議です。「日本人は肉食しなかった」。これも間違いです。たびかさなる肉食禁止令や仏教の影響があります。縄文時代や室町時代、江戸時代には肉を食べていた証拠があります。
薬膳の関係で主婦の方々と中国を旅した時、主婦の方々は犬料理に大騒ぎをされます。しかし、日本でも犬を食べていたのです。日本人は歴史観がゼロです。最近、室町時代や江戸時代の遺跡から犬を食べた後の骨が見つかっています。またナマコやクラゲは中華料理だと思われていますが、あれは日本から中国に輸入されたものです。日本型中医学というものを考える時、こういった問題があります。イカを干したスルメも日本人の発明です。フカヒレも日本から出ています。中国人に言うと「ウソ」と言われますが(笑)。

【日本型中医学の位置づけの問題】

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一次医療      二次医療    三次医療     末期医療
東洋医学 ←―――――――――――――――――――→西洋医学
プライマリケア
環境、食べ物
セルフケア
土着的←――――――――――――――――――→普遍的
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もう一つは日本型中医学をどこに位置づけるかという問題があります。
現代に位置づける場合、現代医療との関係を無視するわけがありません。現代医療を無視して、中医学が現代日本に根づくわけがないです。これは常識論です。現代日本で中医学をやっているのは診療所、鍼灸院、薬局という単位です。そこに来ているのは中国の教科書に載っている患者さんとは違います。日常病です。日本型中医学をつくろうという先生はよくこの日常病に併せて日本型をつくるべきだとおっしゃいます。わたしはこの意見にある意味で賛成し、ある意味では反対しています。東洋医学が得意とするのは一次医療です。西洋医学は一次医療を苦手としています。ちょっと風邪をひいたとか、肩がこった。膝が痛いという場合に西洋医学は治療法がありません。手術する段階まで待ってくれというのが西洋医学の本音です。
中医学に限らず、代替医学はこの一次医療が得意です。プライマリケア、環境、食べ物はこの一次医療の範疇です。西洋医学では一次医療が外されています。セルフケアは伝統医学が得意な分野です。治療するというだけが伝統医学ではありません。自分でできるように指導するというのも伝統医学の範疇です。病気に気づいてもらう。自分で治してもらうというのが基本的なスタンスだったはずです。セルフケアの最たるものが薬膳です。
薬膳学というのは日本で間違ったイメージを植え付けられました。とっても高い材料を使った高級中華料理のイメージです。これは間違いですね。薬膳というのは毎日の食事です。毎日の食事を考えようとした時、これは土着的な問題となります。西洋医学の高度医療はそれに対して普遍的です。「日本型中医学」を考える際に、最初に考えるべき問題はこの土着的なもの、日本的な食べものの問題です。この土着的なセルフケアの問題ができて、こっちの普遍的な高度な問題もできるというのが順序です。中国の材料で油をたっぷり使った薬膳では余計に湿邪がたまります。

もう一つお話するとどうやって日本型をつくるのかという問題があります。中医学をたたき台にしてつくるという立場と、日本的なものがあるとして、そこからつくるという立場があります。日本的なものがあるという立場にも二通りあります。一つは日本的なものがいま存在しているという説、もう一つは昔あったかも知れないものを発掘したいという説です。日本的なものは医療人類学的に言ってもあったとは思います。ただし縄文時代にまで溯ればあったという話。やはり中医学をたたき台にしてつくるしかありません。(休憩)(以上が講義の前半部分の抄録です。後半では中医師との付き合い方、穴性論、鍼麻酔、気功、クロード・レヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』などの文化相対論などのお話とそれに関する質疑応答、交流会がありました。)